中国語 nとng 聞き分けの歴史

日本と中国は古代から関係があり、中国語は日本語に対して大きな影響を及ぼしてきました。中国語を勉強すると、その歴史を感じることができます。

高校生の頃、私は中国語のことを全く知らなかったので、「漢字の音読みは中国から伝わって来たのだから、音読みさえ知っていれば中国語なんて簡単に聞き取れるだろう」と軽く考えていました。

ところが、いざ中国語を習うと、中国語の発音が日本語の音読みと全く違っていたことを知って愕然としました。それ以来私は、日本語と中国語の音声はなんの関係もない別物だと認識するようになりました。

しかし、中国語の発音の勉強を進めていくと、ある法則を習いました。それは、ピンイン(中国語の発音をラテン文字で表記したもの)表記をしたときに語尾が「n」で終わる中国語は日本語では「ん」で終わり、語尾が「ng」で終わる単語は「う」などで終わるという法則(以下、「音読みの法則」といいます)です。

たとえば、「中国語ピンイン→漢字→日本語音読み」の順に
Chuan→船→セン
Chuang→床→ショウ
となります。

“Chuan”と”Chuang”は、カタカナで表記するとどちらも「チュアン」となり、中国語初心者にとって聞き分けはかなり難しいです。日本語との間に対応法則があるのはとても驚きました。

この「音読みの法則」は殆どの単語に例外なく当てはまるので、「これは偶然ではなく、絶対に何か歴史的経緯があるに違いない」と考えました。

そこで、音読みの法則がどのような経緯で成立したのか知りたいと思い、自分なりに調べていたところ、先日偶然読んでいたwikipediaに手掛かりとなる記述がありました。

漢語は平安時代頃までは原語である中国語に近く発音され、日本語の音韻体系とは別個のものと意識されていた。(中略)鼻音韻尾の [-m], [-n],[-ng] なども原音にかなり忠実に発音されていたと見られる。鎌倉時代には漢字音の日本語化が進行し、[-ng] はウに統合され、韻尾の [-m] と[-n] の混同も13世紀に一般化し、撥音の /N/ に統合された。
※文字化けしたため、発音記号を一部改変しています。

日本語 - Wikipedia

※「歴史>音韻史>外来の音韻」の項目に書かれています。

イメージで言うと、平安時代の貴族は今でいうルー大柴のような話し方をしていたということでしょうか。中国語と日本語を混ぜて話し、しかも中国語部分の発音(現代の中国語とはかなり異なります)は正確に発音していたのようです。

さらに注目すべきことは「鼻音韻尾の [-m], [-n],[-ng] なども原音にかなり忠実に発音されていたと見られる」という部分です。これは、奈良~平安時代遣唐使が、中国の長安でnとngの発音の違いを完璧に聞き分けて日本へ持ち帰ってきたということを表しています。

中国語の学習ツールが充実している現代とは異なり、当時は単語帳もICレコーダーも電子辞書もないと思いますし、それどころかピンイン声調も、現代において中国語学習の手助けとなるようなものは何ひとつないので、中国語をマスターするのは本当に大変だったと思います。

大陸へ渡るだけでも命がけだったと思いますが、そんな過酷な環境で中国語の発音を細部までマスターした古代の日本人の血の滲むような努力の軌跡を感じました。
また当時の日本人が聞いた中国語は、今で言うと陝西省西安市の言葉で、現代北京語とはだいぶ違うはずですが、それでも現代に至るまで音読みの法則が維持されていることも興味深いことです。

もう1つの興味深い発見があります。上記の話と矛盾するかも知れませんが、「平安時代の人にとっては、現代の日本人ほどnとngの区別が難しくなかったかも知れない」という仮説です。

なぜ難しくなかったのかというと、当時の日本語には「ん」という言葉がなかったからです。

「ん」という文字は室町時代に作られたそうなのですが、音声自体も平安時代にはなかったようなのです。

なので、平安時代の人は現代人のように「n」「ng」を日本語の「ん」に変換して聞くという余計なことをせず、中国語の発音のまま聞き取れた可能性が高いようです(平安時代「ん」がなかったという話は、下記QAに限らず日本語の歴史に関する様々な本に書かれていました)。

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さらに、「平安時代の日本人は現代人に比べてnとngの区別が難しくなかったかも知れない」という仮説を裏づける興味深い事実を発見しました。それは、「『音読みの法則』は呉音と漢音には当てはまるが、唐音には当てはまらない」という事実です。

「呉音」「漢音」「唐音」とは何かと言いますと、三種類の漢字の音読みのことです。

漢音:唐の時代に遣唐使が日本へ伝えた音読み。
呉音:漢音以前に日本へ伝わっていた音読み。長江下流域か朝鮮半島から伝わったとされるが、詳細は不明。
唐音:遣唐使廃止後、日宋貿易日明貿易を通じて宋や明(あるいは清)から伝わった音読み。

たとえば「明」という漢字は、漢音では「メイ」、呉音では「ミョウ」、唐音では「ミン」と呼びます。明治時代に

試しに辞書で引いた唐音の例を挙げますと、

Hang→行→アン(「行脚」アンギャ、「行灯」アンドン、など)
Jing→京→キン(「北京」ペキン、「南京」ナンキン、など)
Qing→清→シン(「日清」ニッシン、など)

といった具合に、「音読みの法則」が全く当てはまりません。漢音の発音は明治時代以降に一般に広まったらしく、江戸時代までは呉音での発音が一般的だったそうです。そして、唐音については日本語というよりも外国語の発音という感じがします。

これは、唐音が伝わった時代の日本(鎌倉時代から江戸時代)には既に「ん」という文字があり、ngを「ん」と認識したからだろうと考えられます。もし平安時代以前に「ん」という日本語があれば、当時の日本人もnとngを聞き分けられず、呉音や漢音でも唐音と同じようにnとngが混ざってしまったのではないかと私は推測しています。

 

蛇足ですが、北京のことを英語や中国語では"Beijing"と呼びますが、なぜ日本語では北京のことを"ベイジン"ではなく"ペキン"と呼ぶのか、以前から気になっていました。

ペキンというのは鎌倉、室町時代に伝わった唐音の発音だったようです。確かに北京は元朝や明朝の頃から首都でしたから、納得が出来ます。

それに対して上海はアヘン戦争で外国の租界が形成されて以降発展した都市なので、明治時代に現代北京語音「シャンハイ」がそのまま入ってきたという説明が納得できます。
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