カルチャーショックを受けてイラッとしたとき

インドにいると、日本の常識では考えられないようなことが色々と発生し、毎日カルチャーショックの連続です。カルチャーショックを受けたとき、"イラッ"とすることと"面白い"と思うことがあるのですが、この違いは何なのだろう?ということを最近考えています。結論としては「本当は自分でも納得していない日本の常識に縛られていると、カルチャーショックを受けたときにイラっとするのではないか」という仮説を立てています。

例えば、インドへ来たばかりのころ、インド人が電車の中で通話をすると非常にイライラしていました。日本では「電車の中で通話をしてはいけない」というマナーが宣伝されており、それが常識だと思っていたからです。その件についてインド人に話してみると、「電車の中で普通の会話はOKなのに、なぜ電話での通話だけダメのか」と言われると、ウッと詰まってしまい、それ以上何も言えず怒り出すしかありませんでした。

しかしあるとき、私が仕事の都合で電車の中で通話をしなければならなくなったとき、「これは楽だ」と感じました。日本だと電話をしなければならないときは電車を降りてわざわざホームで通話をする必要があります。今振り返ると、私はこの日本のルールをとても無駄だと感じていました。私自身、本音では電車の中で通話をしてはいけないという日本のルールを納得していなかったのです。

「大声で通話してはいけない」というのなら分かりますが、普通に電車の中で会話をするのは大丈夫なのになぜ携帯電話の通話だけダメなのか?というのは正直なところよく分かりません。一方、カルチャーショックに接して「面白い」と感じることもあります。詳しくは別記事でご紹介しましたが、インドでは、祝日が突然発生します。「明日は祝日になったらしいので休みです」という感じで会社から突然連絡が来るのですが、これはとてもビックリするカルチャーショックでした。

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 突然スケジュールが変わってしまうので、正直かなり困ります。しかし、イラっとするというよりは「こんな適当な感じでも世の中は成り立つのか。面白い!視野が広がった」と感じました。インドでは毎日こういった信じられない事態が次から次へと発生するのですが、こういった経験を積み重ねていくうちに「本当は自分でも納得していない日本の常識に縛られていると、カルチャーショックを受けたときにイラっとするのではないか」と考えるようになりました。

それに対して、本当に心の底から信じてきた常識が覆ると「面白い」と感じるのではないか?という仮説を立てています。これは何も海外で接するカルチャーショックに限りません。例えば、私は小学校の頃に「1+1=2」が正しいということを習いました。そして、1+1=2が正しいということを心の底から信じてきました。

ところが大学に入ってから、数学科の友達からこんな話を聞きました。「例えば、粘土1つと粘土1つを合わせたら、1つの粘土が出来るよね?これだと"1+1=1"ってことになるじゃん。これはこれで正しいことなんだよね。でも"1+1=1"だとそれ以上話が発展しなくて数学的に都合が悪いから、便宜的に"1+1=2が正しい"ってことに決めてるだけなんだよね。」要するに、"1+1=2"と"1+1=1"の違いというのは、単なる「決め」の問題なのだということです。そして、ある前提が狂うと「1+1=2」は成り立たなくなるのだそうです。

これは私が心の底から信じていた「1+1=2」を否定された瞬間ですが、「ふざけるな!」と怒る気にはならず、「なるほど、面白いね~」と思いました。これらの経験から、怒りっぽい人は「本当は自分でも信じてない常識に縛られて生きているのではないか」と考えるようになりました。

日本に住んでいても

「いい年なんだから早く結婚しろ」

「どんな親であれ親孝行すべきだ」

など、特定の価値観を押しつけてくる人がいます。しかし「嫌だ。結婚したくない。親孝行したくない」と反対したとき、相手が怒り出したら、その相手自身も本当はやりたくない親孝行や結婚を我慢しているのではないでしょうか。

例えば、「私は親と縁を切りたい」と言ったとき、「そんなことを言うもんじゃない。産んでくれた親には感謝すべきだ。あなたは忍耐が足りない」などと説教をしてくる人は、自分自身も本当は親との距離を置きたいのに我慢をしている可能性が高いと思います。

本当に親と良好な関係を築いている人は、「私は親との関係に恵まれたけど、あなたがそう思うんなら親との距離を置いた方がいいかもね」と冷静にコメントしてくれるか、または「親と距離を置きたいなんて思う人がいるんだ。視野が広がった」とカルチャーショックを受けます。

結婚も同じで、好きでもない結婚相手と無理して結婚生活を続けている人に限って「早く結婚しろ。1人じゃ老後が寂しいじゃないか」と脅してきます。そう言う人の本音は「私は我慢して結婚生活を送っている。独身でも幸せだと言うのなら、私は何のために苦労しているのだ?それでは私の苦労が浮かばれないから、お前も結婚して私と同じ苦労を味わえ」ということではないでしょうか。

本当に心の底から納得していることであれば、怒り出さずに冷静に説明できるのではないかと思います。

例えば、インド人は全くシートベルトを締めないのですが、シートベルトを締めない危険性については、シートベルトを締めた場合と締めなかった場合との事故実験の比較動画を見せるなどしてインド人が納得してもらうまで説明することができると思います。

もしインド人から「シートベルトを締めるべきではない合理的な理由」を説明されたら、怒り出すどころか視野が広がって「凄い!」と逆に感服すると思います。相手を説得できずに怒り出すというのは、自分でも納得していない常識に囚われているのではないか?と思います。

ところで、もちろん「怒り出す人全員が悪い」とは思いません。侮辱されたり、傷つけられたら怒るのは当たり前で、むしろ怒らなければならないと思います。上で書いた「常識に囚われて怒り出す人」というのはそうではなくて、自分自身は何も傷つけられていないのに、人の問題で怒り出す人のことです。

たとえば、結婚しようと結婚しまいと誰かを傷つけているわけではないはずなのに、「結婚しないのはダメだ」などと人の問題に首を突っ込んで怒り出す人のことです。私は「~すべき」「~しなければならない」を連発する人は要注意だと思っています。 多くの常識に縛られ過ぎて不自由な人生になっている可能性が高く、話していて窮屈さを感じます。

人は、 本当に心から信じていることを否定された時には、怒り出すどころか「目からウロコが落ちた。面白い」と思うもので、 自分の信念を否定された時に怒り出すというのは、本当はその「信念」を心の底から信じてはいなかったからではないか?ということを、インドに来て感じています。