毒親との絶縁こそ親孝行

親の期待に応えて育ってきた人が、自分のやりたいことをやるのは大変なことです。私自身も親との関係では非常に苦労しましたが、今は親との関係が良好になったので、私の経験を踏まえて考えたことを書きたいと思います。

記事のタイトルにある「毒親」とは、スーザン・フォワードが書いた「毒になる親」という本から派生して広まった言葉です。毒親は、子どもを身体的に虐待したり、育児放棄(ネグレクト)したりという分かりやすい形だけでなく、他人の子どもと成績や体格、運動神経をを比べたり、「医者になれ」「弁護士になれ」などと自分の希望を子どもに押しつけたりします。毒親はありのままの子どもを肯定せず、自分のイメージする理想像を子どもに押しつけ、実際の子どもが自分の理想像に合わないと様々な手段で子どもを罰します。

子どもは親に捨てられると生きていけないので、親に捨てられないよう自分のやりたいことよりも親の期待に沿って行動するようになります。小さいうちにこの癖がついてしまうと、自分がやりたいことよりも周囲の期待に応えて行動することが習慣化してしまい、自分のやりたいことが何なのかが分からないまま大人になってしまいます。

親の期待に応えて1つの目標を達成すると、親は「甘えるとダメになる。常に向上心を持つべきだ」と言って更に高い目標を要求します。期待に応えれば応えるほど親の要求は高くなるので、どこかで期待に応えられずにダウンしてしまいます。その時、毒親に育てられた子どもは真面目な人ほど「親の期待に応えられず申し訳ない」という気持ち、何事にも自信を持てなくなってしまいます。私はここから自信を回復するには3ステップがあると考えています。

1. 全て親のせいにする

2. 親と距離をおく(全て親のせいにするのを辞める)

3. 親から自由になる(親と距離を置く必要がなくなる)

ます1つ目の「全て親のせいにする」ですが、毒親に育てられて自信を無くしている場合、全て「自分の力不足が原因だ」と考えてしまい更に自信を無くしてしまいがちです。「自分は何をやってもダメなんだ」と考えてしまうと何にもやる気が出ず、行動ができないため成果も上がらずに更に自信をなくして無気力になる・・・という負のスパイラルに陥ります。

ここから一旦抜け出すためには、「自分は悪くない。親が自分を傷つけたから自分はこういう状態に陥っているんだ」と自分を守る必要があります。

このとき「親のせいにするなんて何事だ!」「いい大人なんだから、自分にも責任があるだろう!」と言う人が必ず現れます。しかし、この段階でその人達の言葉を真に受けると「やっぱり自分が悪いんだ」と自分を責めてしまい、前に進めません。従ってここは「いや、自分は1%も悪くない。そもそも親に自分を生んでくれと頼んだ覚えはない。勝手に生んでおいて色々要求してくるのはおかしい。親が100%悪い」と、その人達の批判は無視した方が良いです。

親の問題点に気がつかず自分のことを責めている人が「自分の人生は全て自分に責任があるから、親を責めてはいけない」などと心の底から思うというのは、小学生に高校生のテストをしているようなもので、レベルが飛躍しています。マイナス掛けるマイナスがプラスになることを知らない小学生が虚数を勉強するのと同じで、絶対に無理です。最終的には自分の人生を全て親のせいにしている限り幸せにはなれないのですが、一歩ずつ段階を踏む必要があります。まずは、「自分は何も悪くない、全て親が悪い」と親の問題点に気づくことが自立への第一歩だと思います。

「自分が育った環境は愛情が足りなかった。自分が色々と苦労しているのは親が悪い」と本当に思えたら、次は親と距離を置きます。ここで親と距離を置かないとどうなるかと言うと、親の言動全てに腹が立って親に反抗することになります。親が「正社員になれ」と言うと、親に反抗するためだけにフリータになる、といった状況です。多くの人は10代の思春期で親に反抗しますが、毒親の影響を強く受けている人は反抗期を過ごしていなかったので、ここで反抗期を迎えます(人と違うのは悪いことではありません)。

しかし、「親に反抗するために、親の指示と逆のことをやる」というのは結局親に振り回されていて自分の人生を生きられていません。たとえ自分が正社員になりたくても、親から「正社員になれ」と言われたらフリータになってしまうような状況ですから、自分のやりたいことを考えられる状況ではありません。今までは何をやるにしても「親の期待に応えらているか」を基準にしてきましたが、今度は逆に何をやるときも「親に反抗できているか?」を基準に行動してしまうことになります。

親と関わっている限り冷静に自分自身で決断をするのは難しいので、自分で責任を持って決めるためには親との距離を置いて親からの刺激をシャットアウトする必要があります。「親と距離を置く」というのは、口で言うのは簡単ですが行動するのは生半可なことではありません。親からの電話やメールを無視する、引っ越しをして引っ越し先を伝えない、転職して職場も伝えない、冠婚葬祭も行かない、といったことが必要になる場合もあります。

どんなに日常生活で距離を置いても、たとえば祖父母の葬儀に顔を出したときに「あんた何やってんの!いつ就職すんの!いつまでもフリーターなんかやってプラプラしてたら親戚の前でみっともないじゃないの!」「あなたのせいで私は寝込んだのよ!」などと言われたら全てが振り出しに戻ります。

親と距離を置くというのは強い罪悪感に襲われます(ここで罪悪感を覚えないような人は、そもそも毒親に悩みません)。「自分が原因で親が病気になってしまったら、取り返しがつかない」「親だって、毎日ご飯を作ってくれて自分をここまで育ててくれたんだから、全てが悪いわけじゃない。そんな親を責めてる自分は何と悪いやつなんだ」「連絡を取らない間に親が死んでしまったら一生後悔する」などと考えてしまいます。ここを乗り越えられるかどうかが非常に重要です。

親に逆らって親が病気になると自分を責めてしまうかも知れませんが、たとえ親が病気になったとしても自分自身を責めることではありません。本来、誰でも自分の人生には自分で責任を持つべきで、子どもの人生によって親が不幸になるのであれば、それは親が子どもに依存している状態と言えます。親が子どもに依存しているというのは親の未熟さが原因なので、それで病気になったとしても原因は親にあります。

また「親の良い面も分かるからこそ親と距離を置くのに罪悪感を覚えてしまう」という場合、親と距離を置くのは「親が悪い人だから」ではなく「親が良い人か悪い人かに関係なく、自分が親からの影響を受けずに自分らしい人生を生きるため」と考えてはいかがでしょうか。

「連絡を取らない間に親が死んでしまったら一生後悔する」ということについては、最悪の場合に備えて電話番号かメールアドレスか、1つだけ連絡できる手段は残しておいても良いかも知れません(住所を教えると親によっては押しかけて来るかも知れないので、電話やメールが良いかと思います)。「それでは不徹底だ」と言われてしまうかも知れませんが、親が親が病気になるなど本当に何かあったときに急に親の態度が変わる可能性もあり、本当に亡くなってしまった後だと後悔する可能性もあるのではないかと思います。緊急事態以外の連絡については全て無視するという形で良いかと思います。

親の介護についても、本当に「親を支えたい」と心の底から思うのであれば良いですが、「本当は介護なんてしたくないけど義務だからやらなければならない」という意識なのであれば、介護をすべきかどうかは検討を要するのではないかと思います。そう子どもに思わせてしまった親自身の人生の結果であり、子どもの責任ではないと思います。

私の場合、母は心配性で安定志向のところがあり、幼いころから好奇心が強く飽きっぽい私とは正反対の性格でした。私は、興味のあることにはどんどんチャレンジして、興味がなくなったらすぐ辞めればいい、人生楽しんだもの勝ちと考えていたのですが、母は「石の上にも三年」「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのが人生」という考え方だったので、衝突することが少なくありませんでした。それが最も激しい形で現れたのが結婚の時でした。私の場合は結婚を母に反対されて5年ほど絶縁状態になりました。

この絶縁状態の間は罪悪感に悩まされていたのですが、親と距離を置くと親からの束縛はなくなります。しかし、ここで最後にして最大の難関が訪れます。それは、親の敷いたレールから外れたときに自分自身で人生の重要事項について決断するということです。自分が何をやりたいのか、どうなりたいのかを自分で決めなければならず、失敗しても親のせいにすることはできません。

小さい頃から周りの期待に応えようとしてきた人にとって「自分が本当にやりたいことを見つける」というのは想像以上に大変です。「なりたい自分」というのは仕事のことだけでなく、趣味やライフスタイルやパートナーなども含みます。

親との距離を取って自分なりに模索してきた結果として今の私があるのですが、最も大きな決断だったのは親を結婚式に呼ばなかったことでした。私の親だけでなく妻側の親も呼んでいません。本当に祝福してくれる人だけを呼んで結婚式をやりたいと思ったので、信頼できるごく少数の友人だけを呼んで結婚式をしました。周囲からは「歳をとってから後悔するよ」とか「もう少し親との関係が改善してから結婚式をやってもいいんじゃない?」とも言われたのですが、直観的に「親を呼ばずに今やった方が良い」と思ったので、そうしました。

「親から独立して自分たちで暮らしていく」ということを自分達自身に対して宣言するために、結婚式をやりたいと思いました。親や周りの目を気にしていつまでも結婚式をやらなければ、距離を置いていても何となく親に支配されてしまう気がしたので、結婚して2年後のタイミングで結婚式を決行しました。当時はかなり罪悪感があったものの、結婚式以降は「これからは親の言いなりではなく自分たちでやっていくんだ」という実感が湧くようになりました。親に対しても本気度が伝わり、その後は何も言ってこなくなりました。

親との関係が変わったのはインドに来ることを決断してからです。インドへ行こうと思ったとき、荷物を置く場所がありません。インドに骨を埋めるつもりはなかったので、インドで着ることのない冬服やアルバムなどを日本に置いていきたいと思いました。トランクルームのサービスを使うと月に5000円近くかかり、痛手になります。友人の家に置かせてもらうのも心苦しいので、親に頼らざるを得ません。このとき、親に連絡をしてインドへ行くことを話したところ、手放しで喜んで応援してくれ、喜んで荷物を置かせてくれるということになりました。

とても不思議なことでしたが、さすがに親もここで拒否をすれば絶縁されるという心配があり、また5年間距離を置いたことで「心配しなくてもやっていける」という安心感を持ったようで、うるさく口出しをしなくなるようになりました。

親との関係が良好になった今振り返って、やはり結婚式に親を呼ばなくて良かったと思います。あのとき中途半端な覚悟で親を呼んでいたら、私達の夫婦関係もギクシャクし、親との関係も更に関係が悪化していた可能性もあると思います。

この経験から、私は「自分が心から好きなこと、やりたいと思えることを見つける」というのが最高にして唯一の解決策ではないかと思います。好きなことというのは、「毒親に頭を下げてでもやりたい」と思えるほど好きなことです。 

私の場合はラッキーなことにインドへ来てたまたま親との関係が改善しましたが、全ての人が親との関係を改善できるとは限りません。私は「親と距離を置けば親との関係が改善します」などということは保証できません。

「距離を置いたら将来また親との関係が改善するかも知れないから距離を置いておこう。親が変わることを期待しよう」という意識で距離を置いても何も変わりません。その中途半端な覚悟が親にも伝わって、「やっぱりあの子のことは心配だから私が助けなくちゃ」とますます干渉を強めてくる可能性もあります。親と距離を置くときは「もう一生連絡取らない。自分のことは全部自分で決める。親に何があっても知らん」くらいの覚悟でなければいけないかなと思います。

親に逆らったり親と距離を置くのは親不孝だという意見もあると思いますが、親の言うとおりに行動した結果「自分の人生は親に振り回されて終わった」と死ぬまで親に対して心の底で恨みを抱き続けるのと、親に反抗して自分の好きなように生きて「楽しい人生を送れたから生まれてきてよかった。生んでくれた親に感謝したい」と思うのとでは、どちらが親孝行でしょうか?

「親が生きている間は親の言うことに逆らうべきではない」とストレスを溜め込んだ結果、親が亡くなってから恨みを爆発させ親の墓に八つ当たりをする人もいるようです。そうなるよりは、親が生きている間は親に反抗していても、親が亡くなった後に心から追悼できた方が幸せではないでしょうか。極論ですが、「親孝行するのは親が亡くなってからでも大丈夫」くらいの構えでも問題ないと個人的には思います。「生きているうちに親孝行をしなければ間に合わない」と焦るのはもっともですが、焦っても苦しくなって逆に親に対する恨みが強くなるばかりではないでしょうか。

「親孝行 したい時には 親はなし」という諺があります。「だから親が生きているうちに親孝行をしろ」という趣旨なのでしょけど、一方で論語に「己の欲せざる所は人に施す勿れ」という言葉もあります。これは「自分がやりたくないことは人にしてはいけない」という意味で、「親孝行をしたくない子どもは、親に親孝行をしてはいけない」ということになります。

「親孝行 したい時には 親はなし」とは言いますが、だからと言って親孝行したくないタイミングで親孝行をしてしまったら、「親孝行したい時」が一生訪れないかも知れません。一生親孝行をしたくならないくらいなら、親が亡くなった後に親孝行したくなった方がまだ幸せな人生ではないでしょうか?

「親との絶縁こそ親孝行」という過激なタイトルをつけましたが、親と距離を置いて自分で決断し、自分らしくいられてこそ自然と親に感謝する気持ちが芽生え、そういう気持ちを持つことが本当の親孝行ではないかという意味です。決して「親の言いなりになること」が親孝行ではありません。

なお、最後は「親に感謝できるのが幸せだ」みたいなトーンになってしまいましたが、世の中には子どもを虐待したり、子どもが苦しむのを楽しむようなサイコパスの親も本当にいますし、小さい頃に親に捨てられて親の顔を見たことがない人もいます。従って「親に感謝できるようになることが立派だ」などとは思いません。私の場合は幸せなことにそこまで酷い環境で育ったわけではないので親と5年間距離を置く程度で済みましたが、もし死ぬまで親に感謝する気にならないなら、それはそれで本人の自由ですし問題ないと思います。

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