競争が嫌いな人は全力で競争から逃げて良い

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こちらの記事を拝読しました。私も、競争は競争好きな人がゲームとしてやれば良い考えています。

まず、私は人が競争を始める場面には3種類あるのではないかと思っています。

 

Ⅰ 参加者全員が合意の上で行うゲーム

Ⅱ 競争しなければ死んでしまう生存競争

Ⅲ 本当は競争ではないのに競争だと思い込んでいる状況

 

まずⅠですが、これはスポーツ競技や囲碁や将棋、ギャンブルなどが当てはまります。のど自慢大会や美人コンテストなどもそうです。参加者双方がルールに合意して、自発的に競争に参加をします。あくまでもゲームなので競争に参加するかどうかは個人の自由ですし、競争に負けたところで死ぬわけではありません。競争好きの人が趣味としてやるものなので、参加したくない人は競争に参加する必要がありません。

運動会などもあくまで「ゲーム」です。世の中には、学校行事に一生懸命参加する人が偉く、学校行事をサボる人は価値が低いかのようなことを言う人もいます。しかし運動会もあくまでゲームなので、一生懸命やらなかったからと言って死ぬわけではないですし、むしろ参加したくない競争に強制参加させる方が(「やりたくないことをやる」習慣がつくので)余程マズいのではないかと思います。

 

次にⅡですが、これはとても不幸な状況です。例えば災害で食料や水が人数分行き届かず奪い合いになっている状況や、公害企業との裁判などで「裁判に勝たなければ生きていけない」といった状況が該当します。この状況では嫌でも競争をしなければならないですが、非常に不幸な状況です。

争わなくても全員に食料や水が行き渡る状況と、生き残るために食料や水を争わなければならない状況では、明らかに前者の方が幸福な社会ですよね?何が言いたいかというと、 「競争したくない人が競争に巻き込まれる社会」というのは非常に不幸だということです。生きていくうえで絶対に勝たなければならない場面もあるかも知れませんが、そういう状況に追い込まれるのはとても不幸なことで、一生競争を強制されない人生の方が幸せだと思います。

なお、Ⅰで言及した囲碁将棋やスポーツ、美人コンテストであっても、「この競争に勝たなければ私は死んでしまう」「負ければ自分の全人生が否定され、これから生きていけない」と思った途端にゲームではなく生存競争になります。

 

ところで、一生のうちで「競争に勝たなければ死んでしまう状況」というのはそこまで多くないと思います。ところが、自分らしい人生を生きることを放棄して周りの目線を気にし始めた途端に、本来競争ではないことまで全て「競争」に思えてきます。この状況は「周りより優れていなければ自分には価値がない」という思い込みによって発生します。これがⅢの「本当は競争ではないのに競争だと思い込んでいる状況」です。

 

例えば「資本主義社会なのだから、競合他社との競争に勝ち残らなければ生きていけない」という考え方があります。確かに競合他社にシェアを奪われてしまうと倒産してしまうのは事実ですが、競合他社との競争に勝つのは企業活動の結果であって目的ではないはずです。

個人のキャリアでも会社の事業でもそうですが、一番大事なのは競合を倒すことではなく、自分(自社)の強みを活かして顧客に貢献することです。強みというのは、「努力していないのに何故か周りから褒められること」です。例えば、「お客さんと好きなことを喋ってたら受注できた」という人は営業になるべきですし、「効率の悪い業務フローを見ると改善案が浮かんでワクワクする」という人はコンサルになるべきです。企業でも、得意分野を伸ばして勝負するというのは同じです。

世の中には「私は何も得意なことがありません」という人がとても多いですが、頑張っていないのに何故か人から褒められた経験は誰でも何かしらあるはずです。但し自己肯定感が低い人は他人から褒められても「私のことを褒める人なんているはずがない。だから、あの人は嘘をついている」などと、自分を褒めてくれた人の意見を素直に受け取れず否定してしまい、結果として自分の得意なことが分からなくなることがあります。「強みの見つけ方」は下記記事が参考になりました。

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「強み」で勝負すると周りから歓迎され、居場所が見つかるので人と競争をする必要がありません。日本国内には何百万社も企業があり、日本で居場所が見つからなければ私のように海外へ出てくることもできます。誰であれ、世界のどこかには「頑張らなくても成果を出せるので競争する必要がない居場所」があるはずです。

私の場合、好奇心が強く、自分が理解した内容を出来るだけ分かりやすく説明するのが得意です(大して努力してないのに周りから高評価を頂きます)。そこで、インドのような変わったところへ来て会計や税制の状況を理解し、それを分かりやすくお客さんに説明するという今の仕事は非常にやり甲斐を感じます。

日本で経理の仕事をして数字の正確性を追求する仕事は私には全く向いておらず、地獄のような日々でした。今は当時ほど苦労していないにも関わらず、周りからは「インドで働くなんて、非常に頑張っているね」と思われています。そして、インドへ来たがる日本人は少ないので競争に巻き込まれません。

「競争しなければならない」と思っているのは、自分の得意分野が分からないため居場所が見つからず、周りからの評価を気にしてしまっているからではないかと思います。

 

私は、競争に勝って業界や地域No.1のシェアを目指すことを生き甲斐にしている社長さんを否定しているわけではありません。その経営方針を打ち立てることは社長の自由ですが、「シェアNo.1を目指すゲームに参加したい」というのは社長個人の志向であることを自覚すべきで「No1.を目指さない企業や人間は、No.1を目指している自分よりも価値が低い」などと考えているとしたらそれは間違いです。

No.2でもNo.10でも、顧客に価値のある商品やサービスを提供して黒字を出していれば(資金がショートしなければ)企業は継続していきます。例えば、カップヌードルのシェアがNo.1だったからと言ってマルちゃん正麺の存在価値がないわけではありません。

SMAPに「世界に一つだけの花」という歌がありましたが、あの歌詞についてもう1歩踏むと「No.1にならなくても、Only.1のままで黒字になる」と言えるのではないでしょうか。

「競争がなければ社会が停滞する」という人もいますが、競争がなくても「本当にお客さんに喜んでもらいたい」という気持ちがあれば商品やサービスは改善されていくはずです。従って業界No.1を目指したい会社だけ、「ゲームとして」「趣味として」No.1を目指せば良いのではないかと思います。

淘汰されなければならないのは「競争に負けた会社」ではなく「顧客に価値を提供できない赤字会社」です。社会主義が失敗だったのは「競争がないから」ではなく「顧客に価値を提供できない赤字の国営企業を倒産させなかったから」ではないでしょうか。

 

 【まとめ】

競争は、競争が好きな人だけが「ゲームとして」「趣味として」やることです。私は、競争好きな人が競争をすることは全く否定しませんし、競争が悪いことだとも思いません。本当に競争が好きな人に対して「競争は良くない」などと言うのは、それはそれで価値観の押しつけです。

ただ、競争に勝った人が優れていると主張できる相手はゲームの参加者に限定されており、不参加者に対して「競争に勝った(業界シェアNo.1の)私は、競争に参加していない(業界シェアNo.1を目指さない)あなたより優れている」などと主張するのは明らかに間違っています。

競争嫌いな人が強制的に競争へ巻き込まれるのは大変不幸な状況で、競争に負けた人は悪くありません。その自覚を持つことで、必要のない競争に巻き込まれたり、競争に負けて不要な劣等感コンプレックスを持つことを避けられるのではないかと思います。

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