劣等感コンプレックスの解決は苦手克服ではなく人間関係の断捨離

私は小学生の頃、体育と図工が苦手かつ嫌いで、「どうしてこんな嫌いなことをやらないといけないんだ」と思っていました。誰しも苦手なことはあると思いますが、通知表はオール5であることが優秀であるとされて、苦手科目があるのは良くないとされていました。受験で苦手科目があると不利になるかも知れませんが、社会に出たら苦手があることは何も問題ないのではないか?というのが社会人経験約10年目の率直な感想です。

 

私は「簡単なことを間違えない」とか「迅速かつ正確に事務を処理する」ということが非常に苦手です。前職が経理だったので、とてもそれを実感しました。例えば"5,780円"という請求書の金額を"5,870円"と入力してしまい、気がつかないということがよくあります。入力ミスがないかをチェックするのも苦手で、自分では頑張ってチェックしたつもりなのに必ず1つや2つはミスが残ります。

 

誤字脱字などのケアレスミスは致命的なので、当初は「ミスしないように頑張ろう」と考えてケアレスミスをなくす工夫などを研究して対策をしたりしていました。しかし、ケアレスミスを無くそうとすると今度は緊張して時間がかかりすぎてしまい、納期までに間に合わず、強引に間に合わせようとしてもっと大きなミスをする・・・ということの繰り返しでした。

 

その結果「ケアレスミスの撲滅は人に任せた方が良い」という結論になりました。そもそも仕訳の入力作業を担当しないということが肝心なのですが、細かい数字の入力作業などを担当したときには必ずインド人に「すみません、私は入力ミスが多いのでお手数ですがダブルチェックをお願いします」と確認をお願いしています。そうすると、細かい性格のインド人が嬉々としてチェックしてくれ、「全然違ってるじゃないですか!」と指摘してくれます。

 

以前は「こんな簡単なミスをするなんて情けない」と落ち込んでいましたが、最近はケアレスミスを指摘されて落ち込むのを辞めて「すみません!ありがとうございまーす!」と開き直って感謝しています。世の中には「細かいミスを指摘することが大好きな人」というのがいて、昔はそういう人を鬱陶しく思っていたのですが、最近は逆に感謝するようになっています。

 

私は簡単なことを正確にこなすのは苦手なのですが、逆に込み入った問題を7割程度理解して「問題の本質はここです。改善策はこれです」と分かりやすく説明するのは得意です。日本でこれをやりすぎると嫌がれるのですが、インド人は理屈っぽい人が多いので歓迎されます。従って、インド人に対しては「日本人とのコミュニケーションのブリッジ役やプロジェクトマネジメントは私がやるので、細かい数字のチェックはお願いします」と話しています。

 

結論を言うと、苦手なことは得意な人にお願いすれば良いので、得意なことだけやってればいいじゃないかということです。苦手なことしか任されない職場環境であれば、転職する必要があります。ピータードラッカーという経営学者も、それぞれが得意なことに特化して苦手なことは得意な人に任せるべきだと書いています。

優れた人事は人の強みを生かす。弱みからは何も生まれない。結果を生むには利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを動員しなければならない。

ドラッカー「経営者の条件」ダイヤモンド社 P102

ただ、自分が何が得意で何が苦手なのかも実際に経験してみないと分からないので、最初は色々やってみて見極めるというのは良いかも知れません。何が自分の強みで、何が自分の弱みなのかが分からないと、苦手なことを人に任せることすらできません。

 

では苦手を克服することが全く無駄かというと、そういうわけではありません。私は、苦手を克服すること自体を否定するわけではないのですが、「どうして苦手を克服したいと思ったのか?」という動機が大切だと思います。

 

苦手を克服しようと考えるには、大きく分けて2つあると思います。

 

1.興味があるから

苦手なことでも、「興味がある」「チャレンジしてみたい」と思うことがあります。

例えば、私はこのブログが文字だらけで非常に読みづらいと感じており、読みやすいレイアウトの作り方には非常に興味があります。例えば、こちら↓のnamasteindiaさんのブログは、メニューバーがあって、目次や見出しも見やすく、カラフルでとても読みやすいです。

www.namasute.life

いつも「はてなブログでもここまでのことが出来るんだ」と興味深く拝読しているのですが、私もこういったブログを参考に読みやすいブログを作ってみたいと考えています。

はてなブログでもCSSやHTMLを駆使すると非常に読みやすいレイアウトのブログを作ることは分かったのですが、WordPressであればCSSをいじらなくてもメニューバーや見出し、目次を作れるということで、今はWordPressで見やすいレイアウトのブログを作ろうと奮闘しています。

このように、「苦手だけど、興味があるからやってみたい」という観点での苦手克服は、単純に本人がやってみたいということなので、頑張れば良いのではないかと思っています。

 

2.周りにバカにされるから

一方、苦手なことを克服したい理由として往々にしてあるのが「バカにされたくないから」というものです。例えば「貧乏でバカにされたいから金持ちになりたい」「体が弱くてバカにされたから、筋肉マッチョになって見返してやりたい」というものです。この場合、動機が「自分がやりたいから」ではなく「周りにバカにされたくない」という周囲の目を気にしたものになっています。

 

例えば「英語の訛りをバカにされたから、完璧な発音を身につけて見返してやる」とコンプレックを持った人が頑張って綺麗な発音を身につければ、確かに周りからはバカにされなくなるかも知れません。しかしその結果どうなるのかと言うと「ちょっとでも訛った発音をするとバカにされる」という確信を強めることになります。

「自分は英語の訛りがないからバカにされなくなった」

「もし訛った英語を話せばまたバカにされる」

「訛った英語を話す奴はバカにされても仕方ない」

「訛った英語を話してはいけない」

と、強迫的な考えを持つことになります。

 

本来「訛った英語を話す奴はバカにされても仕方ない」という考え方が間違っているはずなのですが、バカにされないように頑張ってしまうと、この間違った考え方そのものを疑うことがありません。その結果、綺麗な発音を身につけても「綺麗な発音で英語を話せなければ自分には価値がない」と思ってしまい、訛っている人のことをバカにするようになります。いわゆる優越感コンプレックスです。

 

この「訛った英語を話す奴はバカにされても仕方ない」という考え方から脱却しない限りは、ネイティブのような英語を話せるようになっても「ありのままの自分には価値がない」という不安からは抜け出せません。

 

従って「貧乏であること」や「英語が訛っていること」をバカにされた時にすべきことは、金持ちを目指すことや英語の発音を磨くことではなく、バカにしてくる人との縁を切ること、または距離を置くことではないかと思います。自分のことをバカにしてくる人達のために自分の貴重な時間を費やす必要はなく、その人達と疎遠になるだけでコンプレックスは改善するはずです。

 

何か苦手なことを克服したいと思ったら、その動機が世間体や見栄のためなのか、それとも本当に自分がやりたいことなのか?というのは見極める必要があると思います。そして、自分の意思として本当に「訛りのない綺麗な英語を話してみたい」「金持ちになってみたい」と思ったらチャレンジすれば良いと思います。